論文を読む:その1

  • 清水潤「「紙芝居」化する世界-「山海評判記」論-」(泉鏡花研究会編『論集 昭和期の泉鏡花』おうふう、2002年)

色々あって(というかコンテンツ文化史学会の紙芝居分科会、あれ?呼称は紙芝居部会?)最近、紙芝居に関する論文を読む機会が増えているのですが、この論文もそれによるものです。たまには紙芝居部会も活動しているよ!主に脳内で!というところを見せておきます。別に泉鏡花好きというわけではありません。それにしても図書館でこの論集を閲覧したのですが、同じ本棚に大量の鏡花関係の論文集が置いてあって驚きました。文学研究とはそういうものなのですね・・・。

さておき論文の内容は、前半と後半できっちり分けられていて、前半は泉鏡花の作品「山海評判記」に出てくる紙芝居師の妥当性検討し、後半はテクスト分析を行っています。前半では、作品の挿絵を担当した小山雪岱の後世の記録を参考にしながら、昭和4年ごろの小山にとっては紙芝居師がどのような存在か把握できていなかったことを指摘、また作品内で描かれている紙芝居師は東京市社会局『紙芝居に関する調査』(1935年)や今井よね編『紙芝居の実際』(1934年)と比較しても的外れではないことが把握されています。後半では紙芝居が作中で非常に重要な位置を占めていることを主張。特に紙芝居に関する登場人物らが次第に希薄になっていくのは、作中の現実の世界と紙芝居の世界が等価になっているからであるとしています。

という感じ。これまでの鏡花研究では、それほど重要視されてこなかった(のでしょう)紙芝居に焦点を当てたという意味では非常に面白いのですが、結局のところ実態把握ではないのでよく分からない。前半部分の最後で「結局、フィクションだし」的なオチを持ってくるのは、仕方がないのでしょう。あとは地域性か。小山が紙芝居師をよく把握出来ていなかったというのは、黄金バット登場以前なので仕方ないのかもしれませんが、しかし、泉鏡花は当然知りえたからこそ作品の題材にしたわけで、そこは地域差なのか単なる個人差なのか。

さて「その1」というタイトルをつけたので、「その2」をやらないといけないのでしょうか。

論集 昭和期の泉鏡花