論文を読む:その5?

というわけで、また日数が過ぎ去って、10月も半ばになろうかというときに更新となりました。「世界はコンテンツ文化史ではない」担当の玉井です。そして何よりずっと先だと思っていた本学会の第2回例会「ライトノベルと文学」が今度の日曜日に開催されます。

ご登録がまだの方はぜひどうぞ。

http://www.contentshistory.org/2009/09/29/541/

私個人は裏方としてどこかで何かをしているかと思いますが、当日ぼーっとしているはずもなく一応、聞く姿勢を見せるつもりです。門外漢ですけど。最近、仕事帰りの電車の中でラノベ研究の本を読むようにしています。ラノベは読みますが、研究としてはそれほど詳しくないということもあるので、例会に少し備えようかと思ったわけです。最近、読んだのは新城カズマの『ライトノベル「超」入門』(ソフトバンク新書、2006年)。個人的に『サマー/タイム/トラベラー』が印象的な作家ですね。

それはともかく、いや、本当に「超」入門ですね。スレイヤーズやブギーポップに注がついていますが、面倒なのでそこは読み飛ばしました。でも、ライトノベルという定義が曖昧なものに対して、何とか言語化しようとする姿勢は見事です。印象に残ったのは、今でいうライトノベルに分類される小説群が世に出てきた時に読者たちは既存のジャンルとは違う「前向きな違和感」を感じたということ。また、出版社や作家側としては「ライトノベルを作ろう」という意識でやっているのではなく、「面白いものを作ろう」という意識でやっているということ。書き手・売り手としてターゲットにしている層に買ってもらうために(お小遣いを使ってもらうために)間断なくリリースを重ねていくことによって作り上げられていったのが、現在の様相。というように作り手と受け手の両方のせめぎ合いの上で概念として漠然と出来上がってきたのがライトノベルということでしょうか。

しかし、この手の定義の問題で必ず出てくるのが「この小説はどう?」とか「あれは違う」とか「あれもあるではないか」というお話。議論としても学問としてもそこからの脱却というものが出来れば良いなとは単純に思います。

とこれは論文ではなく新書ですよね・・・論文を読む。新書を読む。

ライトノベル「超」入門 [ソフトバンク新書]

サマー/タイム/トラベラー (1)  ハヤカワ文庫 JA (745)

サマー/タイム/トラベラー2 (ハヤカワ文庫JA)